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南太平洋のパラオ島にミッション系の診療所がありました。 私はグアムの病院で働いていた時に、パラオに出張してこのクリニックで働いたことが二度ありました。 パラオ島は地図で見ると日本のほぼ真南、西はフィリピン、南はニューギニア島、グアムより飛行機で西に2時間ほどの距離にあります。 この島の歴史は日本と深い関わりがあります。 第一次大戦後ドイツ領であったパラオは、日本の委任統治領となったからです。 日本は南洋庁をパラオにおき、現地の人を大切にする統治が行われたので親日的な土地としても知られました。 私がパラオに初めて行ったとき、診療所の職員につれられて、先ず医師免許の申請に出かけました。 厚生大臣に面会すると5分ほどで手続きは完了してパラオ国の医師免許をいただきました。 パラオは独立国ですが、米国の医師免許は尊重されるので翌日から診療所で働くことができました。 パラオのクリニックは当時、歯科医が一人、内科医が一人、現地人の看護婦が一人、フィリピン人の検査技師、現地人の歯科助手数人と小さな所帯でした。 パラオ島に小児科の専門医はいませんでした。 入院病棟のある島の公立病院にこどもの急患があると呼ばれることもありました。 そこには産科や新生児室もありましたが、新生児室には呼吸器も気管挿入する道具もありませんでした。 新生児室には酸素ボンベが一本だけあり、未熟児や病気の赤ちゃんは酸素をあげて生き延びれば助かるが、そうでなければあきらめるしかないとのことでした。 周辺の島々と比べれば、酸素ボンベがあるだけ恵まれているとのことでした。 週末に教会に連れていってもらいましたが、教会は400-500名入る大教会で驚きました。 島の最大の宗教はキリスト教、その中で最も大きなプロテスタントの教会でした。 年輩の方々があいさつに来られ、「ようこそいらっしゃいました。 懐かしい日本語の聖書、何か聖書の勉強の助けになる日本語の本はありませんか。」と日本語で聞かれるので驚きました。 戦前育ちの方々はみな日本統治時代に日本語教育を受けて、50年経っても日本語の読み書きに困らない方々でした。 クリニックで親しくお世話をしてくれた方のお父さんは当時パラオ国の大統領でした。 パラオを愛するクリニックの内科の医師が、私に一枚の記念切手を下さいました。 これには「パラオにおける日本の遺産」と題して、戦前の日本統治における農業振興、伝統工芸保護、海洋開発、建築教育、運輸郵便事業、人類学研究などへの貢献を、日本とパラオの友好のシンボルとして切手にデザインしたものでした。 なにしろパラオの国旗は紺地に黄色の日章旗なのですから驚きです。 パラオと日本の真の友好が長く続くことを祈ります。 |
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